持っている男

広告の中で抽象的な形状のものを持ったり、グラフを指さしたりしている男性を巡る雑感
小林美香 2026.09.14
誰でも

キューブを差し出す渡辺謙

六本木交差点の近くを歩いていたら、「ジャパン・テクノロジーの底力になる。」というキャッチコピーで、俳優の渡辺謙がキューブ状の何かを掌にのせたポーズで写ったBLOCKVALUE(サーバを提供するIT企業)の広告が掲出されていました。国際的に活躍する俳優が重厚な佇まいで「底力になる。」と言っているのだから、「なんか頼れそう、凄そう感」は出ています。しかし、何を宣伝しているのか今ひとつよくわからないが、渡辺謙が「底力≒パワー」を意志を持って表現しているらしい、ということは伝わってきます。

2026年6月 六本木交差点付近

2026年6月 六本木交差点付近

ビジネス向けのIT関連のサービス、不動産、金融関連の広告には、男性のタレント、俳優が起用されることが多いのですが、これらの業界では宣伝するサービスの具体的に提示することが難しいので、出演者が「掌に抽象的な形状をのせるポーズ」を取ることが多いです。

渡辺謙の姿と画面の色調と背景を見ていて思い出したのが、映画「スターウォーズ」のライトセーバーを持つヨーダと、「マトリックス」で仮想空間を表現するデジタル・レインと呼ばれる文字列の中に佇むキアヌ・リーヴスです。SF映画のエフェクトっぽい抽象的な空間は、男性を理知的・先進的なマインドを持った存在として演出する要素としてよく使われます。そして、指を開いて掌から何か浮遊させるように差し出している、けれどもそのものに接触していないという魔法使いのような仕草は、人間を超えた「底力」感の演出だとも言えます。(マジシャンのMr.マリックが「ハンドパワー」って言ってましたね)


手の仕草とジェンダー表現

私が広告観察をする際に、手の仕草に注目するのは、社会学者アーヴィング・ゴッフマンの『性差の広告』(1979)の影響によるところが大きいです。この本は、広告に描かれる人物のジェンダー表現を仔細に分析し、後世の広告・視覚文化研究に大きな影響を与えた記念碑的著作として知られています。分析された広告の中には、人物の手の形状や所作、ジェスチャーに注目したものが多く挙げられています。たとえば、男性と女性の手が同じ画面に収まる場合は違いをはっきりと示せるように、大きさにコントラストがつけられ、女性は指先に小さなものをのせる、そっと触れたり包んだりするのに対して、男性は拳を作ったり、手の甲を見せて、筋やゴツゴツとした骨格を強調するようになポーズをしている、といった指摘がなされています。広告表現において手の図像は、優しさ・繊細さ/力強さ 受動性/能動性のような「女らしさ」/「男らしさ」と結びつけられる対照的な様態や態度が読み取られるように緻密に計算されていることをゴッフマンは詳細に指摘しています。50年近く前の著作で、その後広告表現にもさまざまな変化がもたらされましたが、現在用いられているジェンダー表現の中にも通じる要素があると感じます。

Gender Advertisementsより

Gender Advertisementsより

BLOCKVALUEの広告もそうですが、都心のオフィス街やタクシー車内では、ビジネスパーソン向け不動産や投資、IT関連の頻繁に目にします。その中で登場するのがデータやグラフを指差したり、抽象的な形状の何かを掌にのせて差し出すポーズを取る男性です。女性が掌を差し出すポーズをする場合は指をそろえることが多いのに対して、男性は指の間をしっかりとあけることが多く、力を込めて差し出し、掌握・管理する強い意志・態度を表していると言えるでしょう。「抽象的な形状の何かを大きく広げた掌にのせて差し出す」というポーズを「男らしさ」という概念に結びつけて解釈すると、男性は明晰な頭脳の持ち主で、複雑で難解な情報を把握し、資産を管理し、業務実績を上げるアビリティ(能力・力量・才能)を付与された存在として受け止められるのです。
また、「掌に抽象的な形状をのせるポーズ」の男性が描き出される空間もまた、具体的な事物を排除した抽象的な空間で、理知性・冷静さを象徴する青を基調とする色彩に満たされています。あくまでも男性を基準に設計された概念図としての図像ですが、現実の世界はこのように管理・掌握されるべきなのか?あまりにも画一的な表現のようにも感じます。

「持っている」男たち

「持っている」男たち

高層ビル群の中で巨大化する向井理、キューブ化した建造物の間を疾走する藤井風

BLOCKVALUEの広告表現に似た空間と演出、コンセプトで作られているのが向井理が出演するオフィスイノベーターACNの広告です。「オフィスを豊かにすること、それはこの国を豊かにすること」「日本の価値を熱くする」といったフレーズと共に、グレーのスリーピース・スーツ姿の向井理が登場し語りかけるのですが、両社を比べると驚くほど似ていて、企業・サービスを入れ替えても広告として成立するのではないかと思わせるほどです。抽象的な空間を統治・管理する存在として画面の中に現れ、「日本」「この国」「ジャパン」と口にする。女性の出演者がこのような設定とキャッチフレーズで登場する広告を私は見たことがありません。男の人は大きなもの、抽象的な何かを背負わされて大変だなあと思うのと同時に、空疎な表現だなとも感じます。ACNの広告で向井理は小型ロボットと共に登場し、その姿が高層ビル群のなかで巨大化しています。巨大化は、人物を人間を超えた存在のように見せる方法です。

向井理がキューブ(個別の不動産)の集積体としての都市空間を統治・管理する存在として振る舞っていますが、それとは対照的な表現として興味深いのが、藤井風の「きらり」(2022)のMVです。藤井風は人影まばらな歳空間で戯けたり、ふらついたりするような動作で移動し、高速道路でバイクを飛ばしどこかに向かい、街の中のたちを率いて踊っています。都市空間から逃避しようとしているようでいて、最後までその中に居続けているかのようでもあり、「生きてきたけど、すべては夢みたい」「新しい日々も、拙い過去も すべてがきらり」といった刹那と虚無を謳う歌詞が絡み合います。高速道路で藤井風が手放しでバイクを運転し、その周りを建物がキューブに分解されて浮遊する様子には、管理や所有からの束の間の逃避・解放願望が投影されているようにも感じられます。
ACNの広告と「きらり」(2022)のMVは、全く別個の映像ですが、どちら都市空間に対する寄る方ない感覚が男性の身体のイメージと共に表されていることが興味深いです。

お知らせ

東京新聞で連載していたコラム〈男の広告〉が今週で最終回(10回)を迎え、10月から新しい連載が始まります。引き続きよろしくお願いします。

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